世界の中の日本

 日本はお盆に向けて、原爆の日や、終戦記念日となる。
 オハイオ州デイトンにエアフォースミージアム(空軍博物館)がある。
 そこには2回ほど行った事があるのだけど、その度面白くなくなる。

 「原爆」が、もちろん、ガワだけなのだけど、展示されている。
 投下したB-29も同様だ。
 そこには「アメリカはこの原爆を投下する事によって、第2次世界大戦に終止符を打った」というような事が書かれていたと記憶している。具体的な被害だとか、もたらした影響に関して述べていない。

 そして事実として、沖縄に軍事的に駐留することをアメリカでは「サービス」と呼んでいる。
 それであれば、沖縄で起きる数々の犯罪は起きて当然であると思う。
 「サービス」である。「アメリカが日本の為にしてあげている事だ、グタグタ言うな」それが本音であるはずだ。

 アメリカに住んで、前回の駐在を含めて、約7年が経った。
 僕が敬愛する上司と一致した事は、英語を話す事よりも「きちんと日本を理解している事」である。
 なぜこういったこと言うかと言うと、アメリカ人におべっかを使っているのか「日本はダメ。アメリカってすばらしい」という。
 本当にそうだろうか?彼らに「なぜか?」と聞くと、こういった意見が多い。
 「日本は詰め込み教育で、個人を尊重していない。アメリカは良い所を伸ばすのさ」
 「日本人は働き過ぎ、海外を見習うべきさ」
 
 本当にそうだろうか?
 レストランに行けば、日本よりも安くて倍のメシの量だとか、日本と同じ家賃で何倍もの家が借りれる、そこだけで否定してはいなか、このバカは?と思うのである。

 そういう人間に「日本の人口って何人ですか?」と聞くと、ほとんどの人間が答える事ができない。
 そして、基本的な自分の勤めている会社の打上げ高、経常、今期目標金額などなど、極めて基本的なことが答える事ができないのである。
 つまり、ものの本質や基本を理解しないで、自分の都合のいい事を列挙するのである。
 
 こんなすばらしいクニの教育を受けた45歳の営業マンが「俺にはもっとやさしくしてくれ」という私に言うだろうか?あまりに未熟だ。
 
 今の決定権を持つ世代の人々は、本当にこれまでの日本を否定できるのだろうか?
 指導的な立場の人間たちが、先人達の事例から、資源の無い国家が世界で生き延びる策は、高い教育レベルに基づく知識や人材こそが生き残る術であるとなぜ堂々と言わないのか。日本がここまで成長した過程をいとも簡単に否定できるのか不思議な思いである。

 今の若い世代がダメというわけではない。
 刺激を与える若者と昨日逢ったばかりである。
 彼は、僕の開設した事務所の「3代目」である。
 僕は初代と呼ばれ、2代目は帰任し、彼が3代目である。
 2代目は一日でも早く、「XXXX(うちの会社の名前)と言えば、たっく」という名前を消そうと奔走し、僕の売上げを超えた。
 彼は更にその上行こうと、今喘ぎ、苦しんでいる。誰もお膳立てなんかしてくれない。誰も助けてくれない。失敗すればきちんと誤り、その失敗の始末をし、例え相手が何人出てこようが、大きな敵であろうが自分で立ち向かい、乗り越えるのである。

 自分で考え、自分を信じて前に進むのである。
 僕は「初代」である時、アメリカ人同僚に「たっくはサムライだな」と言われた。
 その頃の自分を思い出して、前に進みたいものである。